就職ではなく就社。
良い会社に入るために、少しでも良い大学に行って…そんな価値観で育ってきた私たち。
しかし、価値観が多様化し、正解やルールが目まぐるしく変化する昨今。
いまや、会社員として企業に勤めていても、将来の不安は拭えませんよね。
将来に不安はあるけど、何をしたらいいのかわからないと悩む人が増えています。
60歳で定年退職し、退職金と年金で好きなことをして生きてゆく。
今そんなことができるのは、有り余る金融資産を持つ、ほんの一握りの勝ち組だけでしょう。
私は決して勝ち組ではないので、将来の不安と戦うしかないわけで。
はたして、正解やルールはどこにあるのか、考えてみました。
ルールを疑わない人は思考停止させられている
『ルール』とは守って当然と思っていませんか?
言わずもがな、私たちは法律というルールには服従します。
ですが、法律以外の『決まりごと』というルールには、なんの強制力もありません。
社会で快適に過ごすためには、多くの人が不快にならないように、実に多くのルールがあります。
たとえば、電車やバスの優先席。
買い物をした時に、レジに並んで待つというルール。
このような例を挙げるまでもなく、多数の人が快適に過ごせるように決められたことです。
ところが法律と違って、ルールはいつ、どんなときでも正しいとは限りません。
たとえば優先席を譲るルールは、「お年寄りや体の不自由な人、妊婦さん」とされていますが、明らかに具合の悪そうな人がいたら、その人に譲る方が正しいこともあるわけで。
このように、ルールとは状況次第で変わるもので、いわゆる「空気を読む」必要が出てきます。
昔、ビートたけしが「赤信号みんなで渡れば怖くない」と流されやすい日本人を揶揄していたこともありましたね。
考えるべき局面で四角四面にルールに従うと、KY(空気が読めない)な人というレッテルを貼られてしまうわけで。
バカ正直にルールを守ることが正しいのか?
ルールとは守るべきもの、という思い込みを捨てて、一度、誰かの決めた定義に従って生きることを疑ってみる必要がありそうです。
変化の早いこれからの時代を生き抜くためには、自分の定義で生きることがとっても大切です。
そもそもの話、法律でもない『ルール』を守るという思い込みは、どこから来たものなのか。
それは、誰かが決めたルールに沿って生きることが楽チンだからにほかなりません。
そう、ルールに従うということは、思考停止をしているに過ぎないのです。
思考停止に陥らないために武器を持つ
ものすごいスピードで多様化が進む現代、既存のルールに従うことは、明らかに限界が来ています。
多数決で決められていたルールが、かけがえのない個々人すべてに当てはめることはできない、という風潮です。
良い大学に入って、良い会社に入れば、人生勝ち組!なんて価値観はとっくに廃れてしまいました。
もし、自分の子どもに、良い大学に入って…なんて言ったら、薄ら笑いをされて会話終了でしょう。
良い会社ってどこ?と子どもに聞かれたら、私には答えられる自信がありません…
良い会社の定義が、すくなくとも定年を迎えるまでの40年近く安泰である、ということであれば、分からないとしか答えようがないからです。
人生の成功者とされてきた、諸先輩方の生き方は見本にはなりません。
成功への道がわかりやすかった時代は終わり、どのような道を進むべきか、自分で考えるしかありません。
そのためには、単一のルールに縛られることなく、自分なりの「物差し」を持つ必要に迫られているんです。
そして「物差し」は種類が多ければ多いほど、今後の人生において役立つことは間違いありません。
自分なりの「物差し」を持つ、たった1つの方法
ルールに縛られないために、自分の物差しを持つための方法はとっても簡単です。
それは視点を変えるだけ。
会社員をしていると、自分が仕事をしている業界についての視点ばかりになってしまいます。
近視眼的なものの見方を止めて、常に俯瞰で物事を見るように習慣づけるだけで、自分なりの物差しを手に入れることができるようになります
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